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ハーモニーに向かって

あっこです。

最近は、いろいろな自分の内部でのイベントが噴出して
あっぷあっぷ状態でした。

おかげさまで、ようやく大きなヤマは越した感が出てきました~。

よかったなぁ。

一体何がよかったのって?

う~ん。

話すと長くなりそうなので

メンドウ&興味のない方は
以下の記事はスルーされる事をおススメします。



遡る事、ここ何年か前…

突然ですが

私そのものだと思っていた=私(“小さな私”)が
実際それが私のすべてではないことに
ある日気が付きました。

もう一段階大きな視点の私(“大きな私”)というか

「小さな私」を観察する「大きな私」の存在に
気が付きました。

びっくりしましたヨ。

で、当時の私はどうしたと思います?

「大きな私」で、「小さな私」を丸め込もうとしたのです。


ところで「小さな私」の特徴は…

・自分が正しいと証明したくてしょうがない
・負けたくない勝ちたい
・勝てない事はプライドが傷つくので避ける
・自分の気持ちに嘘をつく
・頭で何が有利か見極めようとする
・人から大切にされたい

こんなところでしょうか。

まあ一言で言うなら
「小賢しい」です。

しかし、今の世の中を生存していく上で
なくてはならない気持ちでもあります。

が、当時「大きな私」は
この「小さな私」の気持ちを
ちょっと恥ずかしいと思ってしまって
あまり尊重しませんでした。

取るに足らない事として無視したのです。

他に方法が思いつきませんでした。


しばらくそれが続きました。

どんなに「小さな私」が自分を守るために激怒しなければ…の事態が起こっても
「大きな私」は最大限それを抑えにかかります。

怒りたくてもブレーキがかかるのです。

結果、訳も分からず我慢させられ続けて
もはや生存権を脅かされたと思った「小さな私」は

無意識に外的な要因を呼び寄せて
怒るシチュエーションを作ることにいそしみました。

いろいろあったなぁ…


「小さな私」は、それこそ死に物狂いです。

特に、自堕落な人や向上心・向学心のない人や
人の悪口ばかりを言う人を徹底的に憎悪しました。

相手の何気ない無邪気な一言にも、頭では冷静なのですが
感情の奥底がどうにも揺らいで不快でした。

他人はもちろん、ついには自分自身に対しても憎悪は向けられました。

しかも水面下で憎悪しながら顔は笑うという…
とても恐ろしい状態です。

誰も彼も、私自身も、何もかも!気に入らない…


そうなってくると、「大きな私」も
さすがに、私やり方間違ってる?と思いはじめて
存在が薄~くなっていきます。

さあ、このままでは負のスパイラルにはまっていく。
非常に危険です。

余計なきっかけで起爆しないように
まず周りの人との接触をできる限り遮断しました。


(やだやだやだ~~!)
(私が一番正しいんだ~)
(それを証明して見せるんだ~)
(相手が悪いに決まっているんだ~
というかそうじゃないと困るから
もっと訳の分かんないことを言えばいいのに~)
(攻撃材料を提供しろ~)
(私をもっと怒らせろ~)

見た目は平静を装いつつ
心の中は「小さな私」の反乱の嵐が吹き荒れていました。

そして、「大きな私」は完全に姿をくらませていて
いわば私は、「小さな私」に占拠されていました。

ほとんど暴れ馬状態です。
こうなっては手が付けられません。

ただ、フィクションの本やテレビで
気をそらせてやり過ごすと
問題が長引くのは経験済みなので
気を確かに保ちつつ、暴れ馬を見守るしかありません。

そんな時うってつけなのは編み物。
同じ作業を繰り返す長~い物を作ることです。
ストールあたりが最適でしょう。

どれくらい時間が経ったでしょうか…

気の遠くなるほどの体感時間でしたが
ストールの編み進み具合からして
実際にはそれほど経っているわけではなさそうでした。

ふと気が付くとそこには
「さらにもう一回り大きな私」が、こちらをじっと伺っていました。

そうでした。

「小さな私」がいなければ
私は何もできなかったでしょう。

人に後れを取りたくなくて
ただそれだけのために
頑張ってきたことは無数にありました。

そのおかげで
この社会で泳いでいくことを覚えたのです。

仮に、今のようなシステムの社会でなかったら
「小さな私」のあり方も、また違ったものだったかもしれません。

だけどこの時代のこの社会に
必要な処世術を身に付けるために
今の「小さな私」がとれほど役に立ったか…

ありがとう。

無視しようとしてゴメンね。
大切にしなくてゴメンね。

これからも頼んだよ。

涙がたくさん出ました。

そして現実の状況は特に何一つ変わっていないのに
その時すべてが解決したのです。

私が私を受け入れて
共に歩もうと自覚した時です。

入れ子が外に並んだ状態で
「ちょっとあっちへ行ってくれる?」
と押し合いをしていたのが
容器の中に収まったというか…

マトリョーシカみたいだね。

さて今後の私の表れは
果たして周りの人の目にはどう映るのでしょうか?

何も変化がないように見えるかもですネ。

まあ、それはそれで…

よかったなぁ。

by cellmeganes | 2013-02-10 14:11 | 日常